研究目的

モデル生物であるカイコガの脳の遺伝子・神経細胞・神経回路・行動と異なる階層からの生物学的分析、脳信号により直接その身体であるロボットを操作する生体-機械融合のアプローチ、そして、これらの情報を神経回路モデルとして統合し、シミュレーションによって、またロボットに実装することで脳を理解します。さらに、このような研究を通して、昆虫が持つすぐれた機能を産業利用したり、脳機能の神経レベルでの改変や修復など将来のニューロリハビリテーションなど医療分野への貢献を目指しています。

21世紀の最も重要な研究テーマとして、脳のしくみを知ることが挙げられます。私たちの研究室では、脳の構造と機能を生物学的に分析し、その結果を工学的に再構成することによって、脳を理解したいと考えています。しかし、人間の脳は、それを構成する素子である神経細胞が1000億個もあり、その一つ一つを 解析することは非常に困難です。そこで、神経細胞数が10万個程度と少ない、昆虫の脳を中心に、無脊椎動物のシンプルな神経系をモデル脳として研究しています。これらの動物は、神経系こそ小さなものではありますが、私たち人間に匹敵する能力を持っています。走る・泳ぐ・飛ぶといった運動能力のほかにも、記憶・学習や、ミツバチのように高度な社会性を持つものも少なくありません。また、昆虫の匂いをかぎわけるしくみは、私たち哺乳類と同じであることが分かってきました。また、軟体動物のアメフラシも記憶・学習による神経回路の変化が初めて明 らかにされ、神経回路研究のモデルとして広く用いられています。

私たちは、カイコガの匂い源探索行動を中心に、神経回路を構成する個々の神経細胞から実際の行動までを分子遺伝学,神経生理学,光生理学(イメージング),行動学,さらにロボティクスなど様々な手法を用いて研究しています。神経細胞の活動をとらえるために、先端直径0.1μmの細いガラス管微小電極を神経細胞へ刺入することで活動電位を記録する細胞内記録法、複数の神経細胞の活動を同時に捉える光学計測法などを用いています。このような神経細胞の情報は理化学研究所との共同研究によってデータベース化が進められています.実際の行動を捉えるためには、昆虫の運動を自動的に追跡するトレッドミルやサーボスフィア、高速度カメラを用いています。その他にも、超小型軽量テレメトリといった新しい実験方法の開発にも取り組んでいます。また,遺伝子操作技術によって,特定の神経細胞を蛍光タンパクでマーキングしたり,神経細胞の活動によって蛍光強度が変化するタンパクを発現させることで,神経活動を計測しています.さらには,昆虫の脳が生成する行動指令信号によって移動ロボット(ロボット化した身体)を制御する,昆虫のサイボーグ化にも世界で初めて成功を収めています.

これまでの研究により、一見複雑なカイコガの匂い源探索行動が、プログラム化されたパターンから構成されていること、そしてそれらの行動を司る神経回路が神経細胞のレベルから明らかになってきました.私たちはさらに、これらの神経回路を精密にモデル化し,次世代のスーパーコンピュータによりシミュレーションすることで,昆虫の脳内の神経回路は,匂いの情報を受け取り,実際にどのように機能しているかを視覚化し,推定することがはじめてできるようになってきたのです.そしてこの神経回路モデルでロボットを制御し,カイコガの匂い源探索行動と比較するのです.このような生物学と工学,情報学の境界領域に立脚した研究手法と数多くの成果は、世界的にきわめて高い評価を得て きました。

さらに、私たちは、昆虫脳を脳研究の「モデル」として考えるだけではありません。3億年以上も前の石炭紀の化石に見られるように、幾多の環境変動にもかかわらず、昆虫はその姿をほとんど変えることなく今日に至っています。これは、昆虫が非常に環境適応性に優れた設計をしているためであり、ロボット工学の面でも非常に注目されています.私たちは、昆虫をロボットに組み込み、神経系から指令される行動指令信号を検出してロボットを駆動する、生体-機械融合システム(昆虫サイボーグ)の製作を目指しています。これを様々な環境で動作させることで、刻々と変化する環境に対応した神経系の活動をリアルタイムで観察することができ、昆虫の環境適応性に優れた設計を学ぶことができると考えています。このようや取り組むは,日産自動車との共同研究による,昆虫の視覚機能を活用した「障害物回避ロボット」にも生かされています.